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札幌地方裁判所 昭和48年(ワ)1061号 判決 1978年10月27日

原告 浅野誠二

被告 国 ほか一名

代理人 小林正明 笠井秀弥 ほか三名

主文

一  原告の各請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金一、八三八万円及びこれに対する被告国においては昭和四八年五月二六日から、被告北海道においては昭和四八年一一月二日から、支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  被告国に対する請求原因

(一)(1) 被告国は、その事務たる自作農創設特別措置法(昭和二一年法律第四三号、以下自創法という)に基づく農地の売渡処分につき、これを地方自治法第一四八条第二項により北海道知事に対し機関委任していたものである。

(2) 又、被告北海道の吏員たる訴外農務部農地調整課訟務係職員は、右道知事の命によりその事務執行に対する不服申立及び訴訟に関する事務を分掌し、かつ右分掌事務に附随し、農地等の処分を廻る紛争の解決調整の事務処理の権限を有していたものである。

(二) 道知事の違法行為

(1)(i) 道知事は、自創法第一六条により、昭和二四年三月三〇日訴外土屋広司に対し、釧路市鳥取町二四番地の二畑三反一八歩(以下本件農地という)を売渡した。

(ii) ところで道知事は昭和二六年三月二日頃迄に右売渡処分を取消すべき義務があつたのにこれを怠つた。

即ち、原告は右売渡当時被告国所有の釧路市鳥取町九七番地の一畑五反歩を耕作使用していたものであるところ、訴外土屋はこれに侵入使用するに至つたため、原告と訴外土屋との間に右土地の占有使用を廻つて紛争が生じたが、鳥取地区農地委員会の斡旋、調停により昭和二五年六月六日原告と訴外土屋間に、原告の右耕作使用権と訴外土屋の本件農地所有権とを交換すること、地区農地委員会は本件農地につき、訴外土屋に対する売渡計画を取消したうえ、原告に対する売渡計画を立てることとする調停が成立した。そして地区農地委員会はその頃道知事に対し右調停経過の関係書類を進達したものである。

道知事は昭和二六年三月二日頃自創法第一六条により原告に対し本件農地につき売渡処分をしたが、前記の次第で、道知事は遅くとも同日迄に訴外土屋に対する前記売渡処分を取消すべき義務があつたのに、少くとも過失によりこれを怠つたものである。

(2) 道知事は訴外土屋に対する前記売渡処分を取消さない場合においては本件農地につき原告に対する自創法第一六条による売渡処分をなすべきでない義務があるのに、道知事はこれに違反し、右取消をしないまま、昭和二六年三月二日頃原告に対し本件農地につき自創法第一六条による売渡処分をした。

即ち、一旦、自創法により有資格者に売渡された農地について、重ねて第三者に対し売渡処分することは、先に売渡処分を受けた者の意思に反しない場合においても、法律上許されないのであるから、道知事は本件農地につき右売渡処分をなすべきでない義務があつたものである。

(三) 道知事の右機関委任事務をその命により掌る被告北海道の吏員たる訴外農務部農地調整課訟務係職員の違法な行政指導行為

(1) 原告は、前記本件農地についての原告に対する売渡処分に基づき昭和二六年五月一一日本件農地につき原告所有名義に所有権保存登記を経由した。しかるところ訴外土屋は原告を相手方として右所有権保存登記の抹消登記手続を求めると共に、併せて北海道知事を相手方として右売渡処分の無効確認の訴を提起し、当庁昭和三一年(行)第三号事件として係属するに至つた。(以下、第一次訴訟という)

そこで、原告に対する本件農地の売渡処分は前記の如く当然無効なのであるから、本件訟務係職員は原告に対し右訴訟につき応訴しないよう行政指導すべき義務があつたのに拘らず、本件訟務係職員は原告に対し、「原告に対しなされた本件農地の売渡処分は有効であるから、原告は右訴訟において勝訴できるものである。」旨告げて、原告をしてその旨誤信させて右訴訟に対し応訴せしめた。その結果、原告らは右第一次訴訟事件につき一審で敗訴したが、控訴し(札幌高等裁判所昭和三一年(ネ)第三一八号事件)、控訴審において勝訴したものの、昭和四〇年八月三一日上告審最高裁判所昭和三八年(オ)第八一四号事件において結局敗訴するに至つたものである。

(2) 又、本件訟務係職員は原告に対する本件農地の売渡処分が無効である以上、早急に原告に対し、前記釧路市鳥取町九七番地の一畑五反歩に対する耕作権を原告において回復できるような手段方法を採るように行政指導すべき義務があつたのに、これを怠り、かえつて右上告審判決言渡以後昭和四七年六月二八日迄の間原告に対し、「原告は被告国及び同北海道から損害賠償を受け得るものである。」旨告げてその旨誤信させ、原告をして多数回にわたり原告住居地たる釧路市から札幌市迄赴かせ、被告国及び被告北海道に対しその折衝をなさしめたものである。

(四) 以上のとおり北海道知事及び右北海道農務部農地調整課訟務係職員は、その職務の執行につき、原告に対し故意又は過失により違法な行為に出たものであるから、国家賠償法第一条により被告国は原告に対し、原告の蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(五) 原告の蒙つた損害額

(1) 第一次的

本件農地の原告に対する売渡処分に基づく原告の損害

(i) 原告において釧路市鳥取町九七番地の一畑五反歩に対する耕作権を喪失したことによる損害額金一、八三八万円

原告は昭和二四年春頃鳥取地区農地委員会委員長小野栖六から同土地につき無償で使用耕作することの許可を得たものであつた。そして小野委員長はその頃原告に対し、近い将来同土地につき原告に対する売渡計画を立てる旨確約したものであり、又右農地委員会はその頃同土地につき原告に対する売渡計画を立てつつあつたものであり、従つて当時同土地については近い将来原告に対する売渡計画ないし売渡処分のなされる可能性は極めて強かつたものである。

原告は本件農地の原告に対する売渡処分が有効になされるべきことを必要欠くべからざる前提要件として、前記土地の耕作権につき交換したものであつて、本件農地の原告に対する売渡処分が無効であるならば、右交換はしなかつた筈のものである。

しかるに前記土地はその後間もなく既に被告国から訴外土屋外二名に対し売渡済みであつて、原告の同土地の耕作権の回復は事実上不可能となつたものである。

ところで前記土地は更地時価坪当り少くとも金四万円を下らず、耕作権価額は更地時価の六割と見るのが相当であるから、右耕作権価額は金三、六〇〇万円なのであるが、本訴においては内金一、八三八万円のみを請求する。

(ii) 仮に右(i)の損害額が認められない場合には、左記信頼利益喪失及び慰藉料額合計金一、一五七万七、五三七円

(ア) 本件農地につき原告が支出した公租公課 計金二三万八、六七〇円

(イ) 本件農地につき原告が支出した土地区画整理事業分担金 計金 三万八、八六七円

(ウ) 前記訴訟(当庁昭和三一年(行)第三号事件、札幌高等裁判所昭和三一年(ネ)第三一八号事件、最高裁判所昭和三八年(オ)第八一四号事件)につき原告が支出した弁護士費用 計金一三〇万円

(エ) 慰藉料 金一、〇〇〇万円

原告は本件農地の原告に対する売渡処分が有効であると信じていたが、訴外土屋から前記訴訟を提起され、結局敗訴し、その間莫大な財産的損害を蒙つた。その結果、原告は多大な精神的苦痛を受けたものである。

(2) 第二次的

道知事が訴外土屋に対する本件農地の売渡処分の取消をしなかつたことに基く原告の損害

(i)

(ア) 訴外土屋から原告に対し本件農地についての訴外土屋所有名義の所有権移転登記手続を求める訴訟を提起され(釧路地方裁判所昭和四一年(ワ)第九六号事件。以下第二次訴訟という)、同訴訟において成立した和解により原告が訴外土屋に対して支払つた和解金 金四〇〇万円

(イ) 右和解により原告が訴外土屋に対し所有権を移転しかつ明渡した左記土地の時価

(A) 釧路市新橋大通四丁目二番五宅地一九四・三四m2  価額金七四二万三、〇〇〇円

(B) 同市新川町一一番七畑九畝二八歩のうち三八六・五五m2  価額金六九五万七、〇〇〇円

但し同市新川町一一番一一宅地五七・三四m2、同番一三宅地五五・九八m2、同番一四宅地一九六・八四m2、同番一五宅地一・五一m2、同番一六宅地七四・八八m2に分筆

(ii) 仮に右(i)の損害額が認められない場合には、左記弁護士費用及び慰藉料合計金一、一三〇万円

(ア) 弁護士費用 金一三〇万円

(三)の(1)の(ii)の(ウ)に同じ

(イ) 慰藉料 金一、〇〇〇万円

(三)の(1)の(ii)の(エ)に同じ

(3) 第三次的

訟務係職員の違法行為に基づく原告の損害合計金一、二四〇万円

(i) 旅費、宿泊費、雑費 計金六〇万円

原告が昭和四〇年八月三一日頃から昭和四七年六月二八日迄の間支出した分

(ii) 弁護士費用 金一八〇万円

原告が本訴提起を委任した際負担した分

(iii) 慰藉料 金一、〇〇〇万円

2  被告北海道に対する請求原因

一 北海道知事及び訟務係職員につき1の如き事実があつたところ、被告北海道は一の1の(二)及び(三)の行為をなした北海道知事及び訟務係職員につきその俸給、給与その他の費用を負担していた者であるから、被告北海道は国家賠償法第三条により、原告の蒙つた前記1の(五)の通り損害を賠償すべき義務がある。

二 請求原因に対する被告らの答弁

1 一の1の(一)の事実中、北海道農務部農地調整課訟務係職員が、農地等の処分を廻る紛争解決調整の事務処理の権限を有していたことは否認し、その余の事実は認める。

2 (二)の(1)の事実中、道知事が原告主張の如く訴外土屋に対し本件農地につき売渡処分をしたこと、道知事は昭和二六年三月二日迄に右売渡処分の取消処分をしなかつたこと、原告と訴外土屋間に昭和二五年六月六日鳥取地区農地委員会の調停として原告主張の内容の合意が成立したこと、道知事は昭和二六年三月二日頃自創法第一六条により原告に対し本件農地につき売渡処分をしたことは認める。

原告が被告国所有の釧路市鳥取町九七番地の一畑五反歩につき耕作権を有していたこと、鳥取地区農地委員会が道知事に対し右調停関係書類を進達したことは否認する。

農地調整法(昭和二六年法律第五号による改正以前のもの)第一五条第二項、同法施行令(昭和二五年政令第三六一号による改正以前のもの)第一四条によれば、地区農地委員会は農事調停の権限は有しなかつたものであるから、原告主張の右調停は不成立といわなければならない。

又道知事は原告との関係において、訴外土屋に対する本件農地の売渡処分を取消すべき法律上の義務はない。即ち道知事が原告に対し、右訴外土屋に対する売渡処分を取消すべき法律上の義務を負う場合とは、右売渡処分が違法であるのみならず、原告において本件農地につき売渡を受けるべき権利ないし法律上資格を有する場合でなければならないのであるが、本件農地は自創法第三条第一項により買収され、同法第一六条、第一八条、同法施行令第一七条によりその小作人である訴外土屋に対する売渡計画を経たうえ適法に売渡されたもので、右売渡処分には何らの違法事由は存しないのであり、他方、原告は本件農地につき、売渡を受けるべき権利を有しないのは勿論、同法施行令第一七条により訴外土屋に優先して売渡を受けるべき資格も有しなかつたものである。

3  (二)の(2)の事実中、道知事が訴外土屋に対する売渡処分を取消さないまま、原告に対し本件農地につき昭和二六年三月二日頃売渡処分をしたことは認めるが、その余の点は争う。

4  (三)の事実中、原告が本件農地につき昭和二六年五月一一日その所有名義に所有権保存登記を経由したこと、訴外土屋は原告及び北海道知事を相手方として原告主張の如き訴訟を提起し、その主張の如き経過で結局、原告ら敗訴に確定したことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  (四)の事実は争う。

6  (五)の事実中、原告が釧路市鳥取町九七番地の一畑五反歩につき耕作権を有していたことは否認し、その余の事実は知らない。

また本件不法行為に基づく損害とは、原告が無効な売渡処分を有効と信頼し、右信頼に基づきなした出捐に限られると解すべきである。すなわち、原告は、もともと無効な売渡処分により所有権を取得するいわれはないから、所有権喪失による損害を生じる余地はなく、損害は、無効な売渡処分なかりせば生じなかつた出捐に限られる。本件において、原告は耕作権喪失の損害を主張しているが、原告の耕作権喪失は、道知事のなした無効な売渡処分を有効と信頼した結果生じたものではないから、道知事の加害行為との間には、因果関係がない。

7  一の2の事実中、被告北海道は北海道知事及び訟務係職員につきその俸給、給与その他の費用を負担していたものであることは認めるが、その余の点は争う。

三 被告らの抗弁

1 原告は道知事の訴外土屋に対する本件売渡処分を取消さなかつたこと及び本件農地の二重売渡処分が違法であることについては遅くとも前記第一次訴訟の最高裁判決が原告に送達された昭和四〇年九月中に知つたこととなる。したがつて、仮に被告北海道及び同国が道知事の違法な本件売渡処分を理由として原告に対して損害賠償責任があるとしても、原告は右時点で加害者及び損害の発生を知つたことになるから、昭和四八年の本訴提起前に、道知事の違法行為を理由とする本訴請求については、民法第七二四条前段の時効が完成し消滅したので、これを援用する。

2 道知事の違法行為は何れも昭和二六年三月二日頃なのであるから、右日時より既に二〇年を経過したので、これら各請求について民法第七二四条後段により消滅したので、これを援用する。

四 被告らの抗弁に対する原告の答弁

抗弁1及び2の主張は争う。

なお、抗弁2の主張は本件準備手続終了後になされた新たな主張であるので不適法である。

五 原告の再抗弁

1 承認

前記第一次訴訟の原告は最高裁判決言渡後直ちに訟務係職員と折衝を始め、原告が二、〇〇〇万円以上の損害を受けた旨知らせたところ、訟務係職員は昭和四二年一二月二三日ころ原告に対して、損害賠償として代替地の提供を約し、かつ被告国及び同北海道が原告に対し損害賠償債務を負うことを承認した。

2 時効の利益の放棄

原告は訟務係職員と前記の如く約七年の折衝を重ねてきたところ、同職員は昭和四七年六月二八日突如折衝を打切り、国家賠償法による訴訟提起をなすべきことを原告に勧告したが、これらの訟務係の言動は、一連の行為として時効の利益を放棄していたものと解せられる。

3 信義則ないし禁反言の法理違反

訟務係が、原告に対し、右のとおり国家賠償法による損害賠償請求権の行使を勧告した後、原告が本訴提起をするに至つて時効の利益を援用することは、原告と訟務係の折衝の経緯及び折衝打切りの事情からみて信義則ないし禁反言の法理に違反して許されないというべきである。

六 再抗弁に対する被告らの答弁

再抗弁1の事実は否認し、同2及び3の主張は争う。

第三証拠 <略>

理由

一  道知事の違法行為を理由とする賠償債務の消滅時効

1  請求原因1の(一)の(1)の事実、(二)の(1)の事実中、道知事が昭和二四年三月三〇日訴外土屋に対し自創法第一六条により本件農地を売渡した事実、道知事が昭和二六年三月二日迄の間右売渡処分の取消処分をしなかつた事実、(2)の事実中、道知事が昭和二六年三月二日原告に対し自創法第一六条により本件農地を売渡した事実については、当事者間に争いがない。

ところで仮に、道知事が昭和二六年三月二日迄に訴外土屋に対する本件農地の売渡処分の取消処分をしなかつたこと及び昭和二六年三月二日原告に対し本件農地の売渡処分をしたことが違法であり、被告国及び同北海道がそれにより原告に対し損害賠償責任を負うに至つたとしても、請求原因1の(三)の事実中、訴外土屋は原告及び北海道知事を相手方として原告主張の如き訴訟(第一次訴訟という)を提起し、その主張の如き経過で結局、原告ら敗訴に確定したことは当事者間に争いがないところであるからこのことから見れば原告は遅くとも右確定の昭和四〇年八月三一日頃においてその加害者及び損害を知つたものということができるから、右賠償請求権は本件訴訟の提起前である昭和四三年八月三一日に、民法第七二四条前段の三年の時効期間が経過したこととなる。(本件訴訟の提起が、被告国に対しては昭和四八年三月二六日、被告道に対しては同年一〇月一九日であることは本件記録により明らかである。)

2  そこで、右消滅時効につき承認による中断ないしは時効の利益の放棄があつたか否かにつき判断する。

(一)  先づ、原告において、被告北海道農務部農地調整課訟務係長が昭和四二年一二月二三日原告に対し右損害賠償債務の存することを承認した旨主張する。

<証拠略>によれば、以下の事実を認めることができる。

原告は、前記訴訟の確定により本件農地の所有権を取得し得ないことが明らかとなつたが、なお酪農により生計をたてていきたいと考えていたところ、昭和四一年中に訴外土屋から更に本件農地の所有権移転登記手続、明渡並びに損害金二三〇万七、〇〇〇円及び昭和四一年一月一日以降本件農地明渡済みまで一か月金六万四、九九五円の割合による金員の支払各請求の訴(第二次訴訟)を提起され釧路地方裁判所昭和四一年(ワ)第九六号事件として係属した。そこで、原告は北海道道議会議員訴外渡部五郎(以下、渡部道議という)に対し第一次訴訟の敗訴により原告の蒙つた損害の補償につき被告北海道との間の折衝の仲介を依頼し、右渡部道議は、一方、そのころ北海道農務部農地調整課吏員に対し、原告が酪農をやりたいので適当な農地の売渡を希望していることを申入れるとともに他方、原告に対し釧路市議会議員訴外竹野内正義(以下、竹野内市議という)を本件補償の折衝のため紹介した。その結果、原告は以後の本件補償についての折衝は、主として右竹野内市議と農務部農地調整課訟務係長東日出男(以下、東係長という)との間において行われるようになつた。竹野内市議は、昭和四二年一二月二三日東係長との第一回の折衝において、本件損害額約金二、〇〇〇万円の支払の提示を行い、東係長はこれに対し、金銭による補償ということになれば、国家賠償法による損害賠償請求ということで訴訟の形でやつてもらわなければならず、又訴訟となつた場合にその損害額については、本件農地の売渡価格にとどまるとするのが被告側の基本的考え方である旨説明し、更に代替農地の売渡の要望については、原告が訴訟で負け本件農地を失つたこと自体は気の毒でもあるので、売渡可能な適地があれば行政的配慮から検討を加える旨約し、又その際訴外土屋から提起されている第二次訴訟については、損害賠償額の確定という意味から右訴訟について早急に解決することが望ましいのではないかとの示唆を与えた。昭和四三年二月一六日、釧路地方裁判所において第二次訴訟事件につき、訴外土屋と原告との間に、原告が訴外土屋に和解金として金四〇〇万円を分割して支払うこと、原告は訴外土屋に対し本件農地の一部で、分筆換地後の土地につき所有権移転登記手続をし、かつ明渡すこと等を内容とした和解が成立し、原告は、昭和四三年一〇月一二日、被告北海道に対し右同日付で本件において蒙つた損害にみあつた酪農適地の売渡を要望した陳情書を提出した。農地調整課では、これに対し農務部長の決済を経たうえ、昭和四四年三月三日、同部長名で、釧路市農業委員会(以下、市農委という)会長宛に、原告に対し本件農地に代わる農地を売渡す必要があるかどうか、又それが可能かどうかにつき照会をなした。市農委では、特別調査委員会を設け討議したうえ、同年一一月二七日、同委会長名で、原告が売渡適格者と認めがたいこと、又売渡適地が存在しないことを理由として、原告に対し農地の売渡をなすことは不可能である旨の回答をなした。東係長は、そのころ原告に対し右市農委の回答の趣旨を伝え、本件補償問題の解決につき国家賠償法による訴訟の方法によるべきことを促したが、原告はあくまでも農地の売渡を受けることを希望し、なお被告北海道の方から市農委に積極的に売渡のために働きかけをすることを求め、その後二、三の売渡候補地をめぐつて原告との間で折衝がなされたが、結局いずれも売渡には至らなかつた。そして、昭和四七年六月二八日、東係長から本件補償問題について事務を引継いだ農地調整課訟務主査安田孝郎(以下、安田主査という)が、最終的に原告に対して、農地の売渡はもはや不可能であるので、本件補償については国家賠償法による訴訟による方法しかない旨伝えた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実によると、東係長は、金銭による補償についてはあくまでも訴訟によつて請求してもらうしかない旨説明したのであり、訴訟によるということは、結局のところ不法行為の存在及び損害の発生について争つていく趣旨をも包含しているものであるから、右説明をもつて被告らが損害賠償責任を負うことを承認したものとみることはできない。更に東係長が農地の売渡につき検討を加えると約したことも、あくまでも原告の立場に同情し行政的配慮からなされたものに過ぎず、被告らが原告に対し損害賠償責任を負うことを認めたうえ、金銭賠償に代えて代替農地の提供を約したものと見ることはできない。しからばこれをもつて債務の承認があつたものということはできない。

(二)  次に原告において、前記訟務係職員が昭和四七年六月二八日、原告に対し本件補償については訴訟提起をなすべき旨勧告したことにより、本件時効の利益の放棄をした、と主張する。しかし乍ら、賠償の履行を求められた者が、これに対して、訴訟を提起することを勧告したとしても、これを以て消滅時効の利益を放棄したものと解すことはできない。蓋し、このような事情はむしろ賠償債務の存在を争う態度に出たものと見るのが相当だからである。しかも<証拠略>によれば、農地調整課訟務係の権限は農地等に係る訴訟、不服審査及びこれらの統計に関することに限定されており、又訴訟上の和解をする場合においても、農務部長の決裁を経て、農林省及び法務省との間で協議が整うことが必要とされているのが現状であることが認められる。そうして見ると安田主査が訴提起前に訴訟追行上の重大な攻撃防禦方法といえる時効の援用につき、これを不可能とさせる時効の利益の放棄をなすには、前記決裁ないしは協議を経るのが通常と考えられるところ、かかる決裁ないしは協議を経たことはこれを認めるに足りる証拠はなく、従つて、右安田主査の言動は、単に本件補償については訴訟によらずに他の方法によることが不可能となつたことから、原告においてあくまで本件の補償を求めるなら訴訟によつて請求すべき旨その考えを述べたに過ぎないものと解すのが相当である。しからば右言動は被告らにおいて予め、原告からの訴訟が提起された場合には、時効の利益を放棄する意思表示をしたものと解することはできない。

(三)  次に原告は、原告と訟務係との前記折衝の経緯及びその打切りの事情からして、被告らが本件訴訟提起後になつて時効の援用をすることは、信義則ないし禁反言の法理に反し許されないと主張する。

しかし、<証拠略>の結果によれば、原告は第一次訴訟、第二次訴訟のいずれにおいてもその訴訟代理人に訴外斉藤忠雄弁護士を依頼し、第二次訴訟における訴外土屋との和解も右斉藤弁護士によつてまとめられ成立したものであることが認められる。従つて、これら訴訟の善後策を弁護士との間で法律的に検討したうえ、直ちに訴訟を提起することも可能な状態にあつたものとみることができ、又前記のように東係長も、昭和四二年一二月二三日の時点において、本件補償を求めるということであれば訴訟を提起することが筋である旨明示していたのである。ところが、原告はこの訴訟による解決を選ばず、渡部道議、竹野内市議に仲介を依頼して政治的、行政的に解決することを選択し、あくまで酪農適地としての農地の売渡を求め、更に、東係長が、市農委会長から昭和四四年一一月二七日付で原告に対する農地売渡が不可能である旨の回答を受け、この旨を原告に伝え、訴訟による解決を促した際においても、原告は、なお農地の売渡に拘泥し、逆に被告北海道の方から市農委に農地の売渡についての働きかけをすることを求めてきたものである。以上のような経緯をみてみると、東係長、安田主査らの訟務係は、本件補償について一貫して訴訟による解決が筋であると説明してきており、代替農地の売渡の話も、被告側において損害賠償の訴の提起を免れようとしたり、右訴の提起を遅延させ、意図的に消滅時効の完成をねらつて持出されたものとは認められず、むしろ、原告において代替農地売渡による解決を積極的に選択し、これを推進せんとしたものとみることができ、結局本件訴の提起が遅れたことは、原告側の対応に大部分の原因があり、被告らに信義則ないし禁反言の法理に反すると非難される点があるものとはいい難い。従つて、原告としては、自らの判断により訴訟による法律的解決でなく、道議らに依頼して政治的、行政的解決を選択し、そのため訴の提起が遅れたものである以上、被告らが時効の完成を援用したとしても甘受せざるをえないといわざるを得ない。

以上、原告の主張している再抗弁についてはいずれも理由がなく、従つて、道知事の違法行為を理由とする請求はいずれも、時効期間を徒過し被告らの援用により消滅したこととなる。

二  北海道農務部農地調整課訟務係職員の違法行為の存否

1  原告は、本件二重売渡処分は重大かつ明白な瑕疵ある違法、無効な行政処分であるから、道知事は第一次訴訟に応訴すべきではなかつたし、道農務部農地調整課訟務係職員は原告をして応訴させるべきでなかつた、と主張する。行政庁は行政目的を達成するために助言・指導といつた非権力的な手段をとることは講学上法律効果を有しない法律作用といわれるものであり、又行政指導と総称されているところであるが、かかる行政指導を行つた公務員に故意、過失があり、しかも当時の状況から見て特に国民の側においてその指導に従うのが当然視され、かつ事実上の強制を伴つたとみなされる状況の下で、やむなくこれに従つた結果、不測の損害を蒙つたような場合には違法な行政指導として国又は地方公共団体において賠償責任を負う余地があると解される。

ところで確かに、本件二重売渡処分は、行政訴訟において取消をまたず無効とされるものであり、その意味で重大かつ明白な瑕疵を有していたものである。しかし、第一次訴訟が提起された段階においては、そもそもこれが無効なものであるか、有効なものであるかにつき法律的に確定はされておらず、現に控訴審においては、二重売渡処分を有効とした判決がなされている。したがつて、道知事が第一次訴訟に応訴したことも直ちに非とすることはできず、道知事において応訴すべきではなかつたとの原告の主張は結果論に過ぎない。そして道農務部農地調整課訟務係職員が原告をして応訴を慫慂しそれが行政指導に当るとしても右と同様やむを得ないところであり、従つて直ちに故意、過失があつたものということはできず、まして原告も第一次訴訟の当事者として訴えられていたのであるから、先づ自からの責任において応訴するか決定すべきが筋合であり、しかも前示の如く原告において右訴訟追行については弁護士を委任していたことに鑑みると、原告は右行政指導に従わざるを得なかつた状況にあつたものというのは相当でなく、更に敗訴したからといつて相被告に応訴させた点につき非があるとするには当初から敗訴することが明らかとなる事情の存在につき、特別の知識を独占していた場合等特段の事情でもない限り到底採用できないところである。しかるところ、かかる特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

2  原告は、訟務係は原告と訴外土屋とが本件農地につき交換をなした経緯を承知していたはずであり、従つて、早急に原告に対し、本件農地と交換された鳥取町九七番地の一の耕作権を回復する手段をとるよう指導すべきであつたと主張する。

しかしながら、本件二重売渡処分が無効であることが第一次訴訟の最高裁判決により確定してしまうまで、訟務係において右主張のような措置を事実上とりえないことは極めて当然のところであり、又右最高裁判決後においても、訴外土屋との間においては本件農地をめぐつて訴訟代理人を立てたうえ第二次訴訟が係属していたのであるから、右耕作権の問題もこれら代理人と相談のうえ、このように当事者間で解決されるべきが建前であり、訟務係に原告主張の如き措置をとることを法律上の義務として求めることは難しい。

3  更に、原告は、訟務係は最高裁判決後も昭和四七年六月二八日まで約七年間も原告をして損害賠償を受けうると誤信させたまま折衝を続けたものと主張する。

しかし、前示のように東係長は本件補償ということであれば国家賠償法による訴訟によることが筋である旨説明しており、農地の売渡しについては行政的配慮から検討してみると約したのみであることが明らかであり、これに対し、前記一において認定の如く、原告があくまで農地の売渡を求め、そのため本訴の提起が遅れたという経緯があり、この点について訟務係に法的に非難するにあたいするような落度を認めることはできない。そして行政的配慮からの農地の売渡といつても、あくまでも法律的に被売渡人に適格があり、その売渡適地が存在していることが前提となるものであり、右前提が欠けた場合には売渡すことができなくなるのも、法律による行政という建前からしてやむを得ないものであり、原告としても自ら政治的、行政的解決という方法を選択した以上、これを甘受するほかないものといわざるを得ない。

従つて、訟務係の違法行為を理由とする原告の請求はいずれも理由がない。

三  結論

以上の次第でその余の点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がないのでいずれも棄却するものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 磯部喬 畔柳正義 平沢雄二)

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